人生

コンプレックスだった半生と向き合ってみた。


こんにちは、カナタです。

今日は今まで親しい友人にも話したことのない私の半生について書きたいと思います。

私は自分の生い立ちがとてもコンプレックスでした。

でも気にしたって生まれも育ちも決して変わることはないです。

なのにいつまでそれを気にして生きていくのか。

一生変わらないものを隠し続けて生きていくのか。

そう考えたらとても嫌になりました。

今日ここで私は自分のコンプレックスに別れを告げたい。

そう思い自分の半生を書くことにしました。

きっかけは借金発覚から

幼い頃はごくごく普通の家庭でした。

父と母、私、弟、叔母の5人で暮らしていました。

が、ある日を境に生活がガラリと変わります。

小学校3年生のときでした。

父親の借金が発覚します。

その日を境に父親は家に帰ってこなくなり、母親は夜も働きに出かけて家にはおらず、
3年生の私、1年生の弟、そして12歳上の叔母が家にいるだけになりました。

電気と水道はかろうじて止まらなかったけど、
ガスは何度も止められてカセットコンロで生活していたりしました。

まだ幼かった私と弟はキャンプみたいだと喜んでましたが、
母と叔母の暗い表情を見てすぐにはしゃぐのをやめました。

どうしてお父さんは帰ってこないの?
いつ帰ってくるの?

なんとなく聞いてはいけないような気がして聞けませんでした。

父親のいない生活にも慣れたある日、うちに一本の電話がかかってきます。

電話に出ると借金取りの罵声が響きました。

「金返せ!コラ!ふざけんじゃねえぞ!」

今でも一字一句違わずに覚えています。

いきなり怒鳴られたショックとあまりの恐怖で涙が止まりませんでした。

「ごめんなさい」

「ごめんなさい」

何度も何度も言いました。

何が悪いのかもよくわかってなかったけど謝ることしかできませんでした。

その時ちょうどうちには私と弟しかおらず、
どうしていいのかもわからずにただただ弟と二人で怯えていました。

電話はそのうち切れたんだと思います。

 

ここから先はよく覚えてません。

 

電話から3ヶ月ほどたった頃でしょうか。

母親にいきなり引越しを告げられました。

叔母もどこかへ引っ越したようです。

 

結局父親の顔は一度も見ないまま引越しが決まりました。

知らないおじさんと生活することになりました。

引っ越してからしばらくは平和な生活でした。

私は4年生になりました。

家が学校から遠くなった以外は普通の生活でした。

 

「ただいま」

 

いつもの母親の声ではなく、大人の男性の声です。

 

「お父さん?」

 

もう一年近く見ていない父親かと思い、
徒歩3秒の玄関まで急いで迎えにいきました。

 

そこにいたのは父親ではなく知らないおじさんでした。

 

「お父さんじゃなくてごめんね」

 

よくわからないまま謝られました。
誰なのかはよくわからなかったけどお寿司をごちそうしてくれました。

 

また遊びにきてね。そう告げてこの日はさよならしました。

 

それから何回もこのおじさん、Yとしましょう。
Yはうちに遊びにくるようになりました。

 

だんだん週一回、週三回、とYがうちにくる回数は増えていき、
いつのまにかうちに住んでました。

 

はじめは親が連れて行ってくれなかったお出かけに連れて行ってくれるYが好きでした。

海や花火大会、スケート、温泉など、
私の幼い頃の思い出はYに作ってもらったようなものです。

 

でも私たち兄弟は頑なにYのことをお父さんとは呼びませんでした。

本当のお父さんは別にいるのにYのことをお父さんと呼ぶことはできませんでした。

 

でもYは私たちの父親になりたかったんだと思います。

 

教育のつもりだったのか、様々なことを抑圧されるようになりました。

 

当時おこづかい帳をつけていたのですが、
財布と一緒に週一回の提出が義務付けられ、
財布の中身と一円でも合わなかったら部屋に閉じ込めたり。

 

算数の問題ができなかったら、
教えるわけでもなく解けるまで部屋に閉じ込めたり。

 

夜七時頃に友達とパソコンでチャットをやっていたら怒鳴ってみたり。

 

なによりも嫌だったのは体のことを言われることでした。

母親と胸の大きさを比べられたり、生理のことを言われたり。

本当に嫌で嫌でたまりませんでした。

 

そんな生活が中学2年まで続きました。

 

もうその頃には私はYと口をききませんでした。

 

大好きだったはずなのにいつの間にか大嫌いになってました。

 

このYも父親と一緒でいつのまにかいなくなっていました。

 

やっと本当に平和な生活になるんだ。

嬉しくてたまりませんでした。

 

どうして?そればかり考えてた。

高校生活は途中までは平和そのものでした。

演劇部に入っていたのですが、毎日部活に明け暮れていました。

本当に楽しくてたまらなかった。

一応演劇にも大会があって、
県大会まで出れたときは嬉しくて涙が止まらなかったです。

 

だけどそんな日々が永遠に続くわけではありません。

 

将来を決めなくてはならない。

 

私は最初、進学希望で進路を出していました。

ですが母親は当たり前のように就職だと思っていたようです。

 

上の学校に行きたいなら公立の高校にしなさい。

 

そう言われて私は公立高校へといきました。

 

 

言われた通り公立高校へちゃんと行った。
それなのに裏切るのか。おかしくないか?
ありもしない希望をちらつかせてんな!
じゃあはじめから就職してって言えばいいじゃんか!!

 

こんなようなことを母親に言いました。

 

弟が私立に行ってどうしてもお金がない。
あんたが就職してくれないと困る。
進学なんて認めない。

 

母親の意見はこうでした。

 

なんで私立に行った弟の学費のせいで私が進学できないの。

意味がわからない。

 

でもないお金をどうすることもできない。

 

奨学金という制度があることももちろん知っていました。
だけど進学させてやるお金がないのではなく、私が働かなくては生活ができない。

 

お金がないから就職してうちに金を入れなさい。

うちに金を入れるのが当たり前。

高校までいかせてやっただけ感謝しろ。

あんたには高校の奨学金の支払いもあるんだから諦めなさい。

 

追い討ちをかけるように言われました。

 

このとき自分が高校に奨学金で通ってることを初めて知りました。

 

そして貧乏をこれほど恨んだこともありませんでした。

 

その日から私は勉強をしなくなりました。

 

諦めたほうが楽だ。貧乏人が変な夢みちゃいけない。

 

流されるように就職を決めました。

 

私が住んでいる田舎は、車は1人1台ないと生活できないような地域です。

それなのに車の免許をとる費用も車を買う費用もないと言われました。

 

父親の借金のために母親は自己破産していてローンは組めなかった。

 

進学も諦めさせといて今度はこれかよ。

自分がパチンコ行く金はあるのに子どもの車買う金はないのかよ。

もういい。

 

だんだんと自暴自棄になりました。

 

思えば引っ越すときも、Yがうちにきたときも、
私の意見なんて聞いてくれたことは一度だってなかった。

 

私が中学の部活の大会の帰りだってパチンコにでかけて迎えに来てくれなかった。
修学旅行のあとの重たい荷物を背負って1人で歩いて帰った。

 

そんなことを思い出した。

 

そして、なにもかもがどうでもよくなった。

なにもかもを諦めた。希望なんてなかった。

 

とりあえず祖母にお金は借りて免許は取った。
車は諦めて電車で通うことにした。

 

田舎はとにかく電車が来ない。

 

ラッシュの時間でも1時間に5〜6本くればいいほう。

ローカルな私鉄はもっとこない。

 

そのローカルな私鉄に乗らなくてはならないので、
朝8時の出勤なのに5時半の電車に乗っていた。

 

着くのは7時。それ以外に電車がないから仕方がなかった。

 

特に入りたくて入った会社でもないのに、
なんで私は朝4時半に起きて出勤してるんだろう。

 

仕事も辛いばかりでちっとも楽しくなかった。

 

紙をただひたすら検査して包装していくだけの仕事。

 

休憩室には窓すらない。

 

人間じゃないみたいだった。

 

こんなことがしたかったんじゃない。

 

そんな姿勢を見抜かれたのか私は会社にちっとも馴染めなかった。

 

そしていじめが始まった。

 

きっかけは些細なことだったと思います。

 

社長の秘書とたまたま名前が一緒で社長に気に入られ可愛がられたから。

 

たったこれだけのことでした。

 

仕事をするためのグループに入れてもらえない。

2人または3人でグループを組んでやる仕事なのに私とは誰も組んでくれず、
いつも1人で最後まで余りました。

見かねた組長が入れてあげてとは言ってくれるのですが、
それがみじめでたまりませんでした。

 

だけどなんでこんな目にとは思いませんでした。

 

全部私が悪いんだからそれでいい。
申し訳ないし組長も気をつかわなくていいよ。
怪我すれば会社いかなくていいのかな。

あ、車にひかれよう。それがいい。そうしよう。

 

気づいたら車の前に飛び出してました。

 

死にたかったわけじゃない。ただ会社にいかなくていい言い訳がほしかった。

 

結局寸前でひかれはせず、私をひかなかった車を睨みつけました。

 

その時の帰りの電車の中で女子高生が私の方を見て

「あのひとやばい」

「目がいっちゃってるよね」

「きもーい」

「やだこっちみたよ」

とかなんとか言っていたのでたぶん相当やばい顔をしていたんだと思います。

 

結局会社は辞めました。

勤めた期間は半年くらいだったと思います。

 

2社目はパートで事務員になりました。

 

ここでも結局人間関係がダメで半年でやめることになります。

 

この時、私はダメ人間なんだからどこにいったってダメ。

そう思ってました。

だがしかし奨学金があるので働くしかありません。

 

そして派遣で現在の会社に入ることになります。

 

初めて仕事が楽しいと思った。

3社目もどうせダメなんだろうな。

そう思いながら自己紹介を済ませ配属先に連れていかれます。

 

そこの人たちはいい人たちばかりでした。

 

そして仕事も向いていたのか楽しかった。

 

 

ある日、瓶を落として割るというミスをしてしまったのですが、

謝ることもできずに頭が真っ白になっていました。

そこへ上司がやって来ました。

絶対怒られる、そう思った時に

「大丈夫?怪我はない?」

そう聞かれました。

ミスをしたら怒られる。

それが当たり前になっていた私はきょとんとしてしまいました。

「怒られると思ったの?別に瓶くらいいいよ、怪我がなくてよかった」

感動しました。こんな上司もいるのかと。

割った瓶は危ないからと周りの人たちが片付けてくれました。

さらに感動しました。こんな職場もあるのかと。

 

いい人たちと向いてる仕事。

 

ここでならやっていけるかも。

初めて私は自分の居場所を見つけることができました。

 

職場恋愛なんてものも経験しました。楽しかった。

 

入社から2年後、私は派遣から正社員となり、

本社へと異動へなりました。

 

この時できた彼が現在の夫です。

今も夫婦で同じ職場に勤めています。

 

そして現在へ、自分のことは自分で決めたい。

本社へと異動になり、
新たに人間関係を作らなければならなくなりました。

 

やはりいい人たちばかりでした。

 

でも私はひとりでいます。

次へと進むためです。

 

私は強くなりました。

私は諦めなくなりました。

次へ進みたい。

新しいことをしたい。

そう思うきっかけになったことについてはこちらの記事をどうぞ。
転職に失敗してブログに逃げた20代女子が赤裸々に全てを語るよ。

 

おわりに

はじめて自分の半生ときちんと向き合えた気がします。

コンプレックスになるほど嫌だった私の半生。

誰にも詳しく話したことのなかったこれまでの人生。

書きながら何度も泣きそうになりました。

書くのをやめようかと何度も思いました。

だけど、こうやって客観的に見てみるとなんてくだらないことで悩んでたんだろうか。

 

勇気を出して本当によかった。

 

過去を晒す勇気をくれたきたサロのひとたちに感謝します。

本当にありがとう。

 

 

 

 

長くなりましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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HN カナタ HNの由来はアジカンの名曲「遥か彼方」から。 笑うように生きるをモットーにくだらないことも楽しく笑うブログ、ハナサキ!を運営中。あなたの生活にちょっとした楽しさを提供します! 私と一緒に楽しみを提供してくれるスポンサー様募集中! 顔面以外の外観を褒められること多め。